何を求めてるのか?
- ミッション 祈りの
- 8月26日
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「私に何をして欲しいのか。」
イエスキリストは、マタイの福音書20:32 で、目の見えない人に
そのように、話しかけています。
彼らは、「目が見えるようになることです。」とはっきり答えています。
その後、彼らはいやされました。
最初、彼らは、憐んでください、と叫んでいるだけでした。
具体的に、祈る時に、神は答えてくださいます。
でも、それは、私も皆さんに、散々教えてきて、知ってるはずでした。
具体的に、祈って、祈りが、いろいろ答えられて来ました。
しかし、あらためて、神が、この言葉から、語って来てくださいました。
いったい、私は、神に何をして欲しいのか、ということです。
教会の祈りを祈り、いろいろ確かに答えられています。
個人的な、生活のことで、いろいろ、神から助けを受けてます。
でも、一番何を求めているかというと、はっきりしないな、と思いました。
どういったことを、一生涯の中で、願うのかということですね。
パウロ牧師は、「用いられたい」と願ったのですね。
そうしたら、十字架を負いなさい、と答えが来たのです。
これは、私も、もうこんな歳なのに。良くないなと思いました。
皆さんは、どう思いますか。神に何を求めていますか?
何を願ってますか?
でもよくよく心を探ってみると、私は、楽しいことを探していますね。
いつもそうです。言葉を変えて言えば、喜びを探しています。
神の前に、もっと、自分の願いを認識して、求めるべきだなと思いました。
確かに、神に、「用いられたい」という願いもあると思います。
しかし、それ以上に、嬉しさや、楽しみ、爆発的な喜びを願っています。
というか、探している自分がいますね。


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