(続き)そこまでだったら、それほど、神に従うことにさほど決心はいりませんでした。確かに、教師には、なりたかったけれど、自分としては、先生は、大変だとは、わかっていたので、神がやめておきなさいというなら、やめておこうと断念しました。それで、日立の子会社に、就職試験も受けて就職することになっていきました。ところが、先生になるのをやめるように言われたのですが、日立に就職でいいとは、言われていなかったので、「これでいいんでしょうか」と、また、聞いていったのです。
結局、これもスットップが入り、牧師や、教会の奉仕者になる道を示されていったのです。とにかく、茨城の田舎に帰るのは、御心ではなくて、TLEAの教会にとどまって、もっと、聞き従うということを学び、献身者、奉仕者の道を選ぶように、導かれたのです。その頃は、まだ、教会の神学校も造られてなかった時でした。教会も東京に一つしかないし、牧師や、伝道師を、目指すと言っても、どうなるかわからない、先が見えない時期でした。しかし、このまま、田舎に帰ってしまったら、本当に、聞き従うって、ことは学べなくなるし、それは、御心ではないということは、はっきりわかったのです。
ですから、この御心を選択して、東京にとどまり、一般就職をやめて、アルバイトで、
教会の、学びのクラスを続けて、教会の奉仕者を、目指すというのは、人間的には、かなり無謀で、決心のいることでした。神様は、私たちを、試しますね。御心全部を教えずに、
ある部分を示して、その御心を選ぶかどうか、試されますね。結局、従うことを決心して、
東京にとどまりました。その結果、日雇いのアルバイト生活になり、親には、猛反対され、
経済的には、非常に苦しくなりました。苦しくなるぞとは、わかっていたことでしたから、
聞き従うことはかなり決心のいることでした。
しかし、しかし、そのハングリーな、生活が、本当に、神に聞き従うことを学ぶには、
ものすごく大事な、時期になったのです。だから、今では、本当に、そちらの聞き従う道を選んだことが、本当に良かったと、今は思っています。そして、私は、貧しいのにもかかわらず、フィリピンや、アメリカや、アジアに、宣教に行って、多くのクリスチャンを助けたり、ノンクリスチャンに伝道して、救いを見たりして、世界宣教に関わって行ったのです。
もし、田舎に帰ってしまったら、決して、海外には、それから出なかったでしょうし、
永遠の命に関わる、重要な、尊いご奉仕には、あまりかかわらなかったでしょう。
神の前に、この永遠の事柄に関わることが、なんと大事なことだったでしょうか。
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