この後、9節で、イエス様は、天に昇って見えなくなりました。9節で、「彼らが見ている間に、あげられた」と書いてありますので、昇っていくのを、彼らは、目視できたのですね。そのようなあげられかたでした。どうしてかというと、携挙の時、私たちもあげられるのですが、その時とは違うのです。あげられかたが、携挙の時は、一瞬です。
なぜその違いを確認する必要があるかと言いますと、この時、急にイエス様は消えたわけではないので、弟子たちは、しばらく、そこで天を見上げていたというわけです。さようなら〜〜ーと、含みを残す感じですね。例えば、エマオの途上で、弟子たちに現れたイエス様は、パッと消えました。だから、まだまだ、また現れるよ、という感じでした。40日間
イエス様は、弟子たちに、何回か、現れたのです。
でも、オリーブ山で天に昇られた時は、徐々に天に上げられて、別れを惜しむ感じだったですね。
そして、あれ、イエス様いなくなってしまった。どうしよう。でも、エルサレムで待っていなさいということでしたから、待ってなくっちゃ、という感じで、聖霊様がやってこられるのを待ちました。でも弟子たちは、いつまで待つのかは、わからなかったようです。ペンテコステの日まで、10日間でしたが、長かったでしょうね。迫害を恐れつつ待つ、10日間は。必死に彼らは、祈りました。十字架の時に、眠ってしまって、祈らなかった時とは違います。祈ることで、彼らは、なんとか、聖霊様がやってくるペンテコステの時まで、待つことができたのです。私たちも、失敗から学ぶ必要がありますね。
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