1章8節の、イエス様の予告預言は、力を受けるということだったのですが、
この力を受けるというのは、いったいどういうことなのかな、と思わされます。
確かに、彼らは、死をも恐れずに主人を証ししていったのは、力の現れでした。
もう一つは、不思議としるしの伴う、という意味での力ですね。
さらに、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てまで証人となる、
というのは、その町、そこから、その国全体、そして、外国の地の果てまで、伝えていくようになる、と三つの地域に分けられています。力を受けたなら、このように伝えていくようになる、ということなのです。聖霊による力がないと、伝えられないですね。
結局、人が救われるのは、聖霊によるのですから、聖霊の力がなかったら、伝えられないですね。この神からのエネルギーが、宣教の鍵で、これがなければ、地域の宣教、国内の宣教、海外への宣教、なんて、できるはずがないですね。
日本人が、海外宣教を、ほとんどやらなかったのは、この力がなかったからだと思います。海外に行って宣教をすることは、エネルギーがいることですね。TLEAで、たくさんの海外宣教が進んでいるのは、まさに、神の力だと思わされます。
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