今日は、東京カリスマ聖会で、セミナーを担当させていただきました。
10分オンリーなので、証しも短くなってしまうので、ここで、もう少し
お分かちしますと、聞き従うのに、決心がいる、という話でした。
神に聞き従うなら、確かに、祝福が与えられ、聞き従わないなら、失う祝福があるというお話でした。ですから、私たちは、聞き従おうとするのですが、そこで決心がいるのですね。
私は、学校卒業あと一年ぐらいに来て、本当に、教師への道でいいのか、祈り始めたわけです。実際、教育実習なんかもやって、本気で、教師になろうとしてました。2週間ぐらい、中学の先生の卵をやって、いい思い出が残るんですね。2週間だけだから、生徒に慕われて終わるんです。そうすると、先生やってみよう、と本当、思うんですね。私の家族は、
母が、小学校の教師四十年、姉も、小学校の教師でしたから、私も、工学部に入ったものの
やっぱ、クリスチャンになって、人間というものが好きになり、やっぱ、コンピューター
より、人間教える職業かな、と、進んだわけです。
ところが、祈り、時間をかけて神に聞いていったところ、ある日、幻を見てしまいました。コップに鉛のようなものが入っていたのですが、それがどんどん落ちていって割れてしまうという幻でした。幻なんて、初めて見て、びっくりしてましたが、目をつぶっても、
目を開けていても見えるんですね。
神様、一体、これはどういう意味ですかと、聞きましたら、先生をやったら、あなたは
責任の重さに耐えられなくて、割れちゃうよ、というような意味であると、なんとなく
語られていきました。次の日に、教師の採用試験の通知が来て、不合格の知らせでした。
それも、タイミングだったので、やはり、不安は、決して消せなかったので、これはやはり、神様のストップかなということで、最終的には、先生になるのをとどまりました。
それで、切り替えて、日立の子会社に入ることにしたのです。(続く)
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