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バプテスマと決心

執筆者の写真: ミッション 祈りのミッション 祈りの

 

福島では、洗礼を受ける方が、起こされました。


 洗礼、バプテスマというのは、新たに、公に、神を信じて、はっきりと信仰を

みなさんに現すそのような、機会です。


 ある方々は、神を信じます、と言いますが、「洗礼は結構です」と言います。


 洗礼を受けるのは、ある決心がいることかもしれません。



 私たちの毎日の歩みは、この決心の連続かもしれませんね。


 マーリンキャロザースさんは、ある夜、これから、すべてのことを感謝するように、決心を神に迫られたそうです。彼は、すべてを感謝することを決心したのです。

 そして、次の朝。


 目覚めた時に、彼は、神によって、早速、自分がつぶやき始めているのを、気づかされるのです。寝床から、起きるのをもう少し寝ていたいと、つぶやいている自分に気付かさせられるのです。朝目覚めたその瞬間から、感謝することを選択するのか、あるいは、普通につぶやこうとするのか、選ばさせられるわけです。そういう意味では、もしすべてを感謝しようとするなら、私たちは、決心の連続ですね。いつも、私たちは、つぶやきを選んでいるからです。


 リバイバルの鍵って、この決心ですかね。神のみこころを選ぶ決心、神の御心のほうに

進もう、立ち帰ろうとする決心。この決心が、鍵というより、リバイバル、そのものかもしれません。

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