語りかけとして、幾つかの、神のみ言葉を受けました。
一つは、ピリピ4:13のみ言葉です。
「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」
例えば、聖書のみ言葉が、集会で聞いたからそれを受けました、とかいう意味でなく、
もっと、明確に、語られたというみ言葉です。
全体において、今回のメッセージは、申命記のところから、私たちはどうしようもない罪人であり、とてもとても、神の働きを担えるようなものでない、不信仰な者ということを40年間の間に学んだ。そして、向きを変えて、神によって、信仰の対応をなして、占領の歩みに入って行きなさい。というのが、主要なメッセージであったと、思っています。
ところが、レオンさんのメッセージがこのメッセージと重なっているものでした。
創世記の、12章、15章から、アブラハムが、預言されました、自分の子孫について
出エジプトを預言された箇所です。そこから、「神よ、私たちのエジプト(エゴ)を取り出してください。」というメッセージだったのです。私たちには、エゴなどの、エジプトなる古いものが残っているけど、神によって新しくされていく必要がある、というようなメッセージであったようです。でもそれは、私たちの肉によってではなく、神によって、それでこのピリピ4:13のみ言葉に触れていたのです。私は、私自身によってでなく、私を強くしてくださる、神によって、なんでもできるのです、という信仰の対応のみ言葉が、メッセージで語られていました。
そして、このみ言葉を、私は1日前に語られていて、ガリラヤでの祈祷会で、メッセージをここからしたのです。ですから、明確に、神は、このみ言葉を語ってくださっていると受け取ったのです。イスラエルチームの後半の、パウロ秋元牧師のメッセージ、あるいは
日本に帰ってきてからのメッセージは、この信仰の対応のことが語られているということを感じています。
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